ひいじいCAFEランニングブログ

日々のランニングの記録です

ヤムニヤマレズ。(前編)

 独立開業とは夢がいっぱい。

 

 どうも! ススキノの父です。

 

 ワタクシ、開業してからというもの学生時代や昔所属していた会社の先輩後輩という旧知の方が来店された際、よく言われたのが。

 

『自分の裁量次第でカネを稼げる一国一城の主ってカッコイイよな』

 

 って。

 いやまぁ、気持ちはわかります。

 ワタクシとて開業なんて微塵も考えていなかった頃は漠然と経営者ってカッコイイ! なぁんて思ってましたしね。

 

 それにそもそも、

 

 自身、そういったイメージを持ちながらも開業する気なんて更々ありませんでした。

 大学を卒業間近、将来的なビジョンとしては福利厚生がしっかりついた会社に雇われながら、決まったサラリーを毎月きちんと貰い、定年後は年金で細々と暮らすというつもりで動いておりました。

 

 ですが、

 

 蓋を開けたら1~2年で職を転々とする日々。

 自身としてはどんな仕事であろうとも腰を据え、じっくりと経験を積みたかったのですが、それを阻んだのが

 

 イジメ。

 

 ワタクシ、前世で大罪を犯したのか、どこの会社に行っても必ずといって良いほどイジメに遭いました。

 肉体的なものから精神的なものまでなんでもござれ、イジメのデパート、イジメの博覧会、ありとあらゆるバリエーションの嫌がらせを受けました。

 職業訓練校時代、講師からのイジメってのも経験しておりますよ。

 とはいえ、

 

『イジメられる方にも問題がある』

 

 なんて言われたこともありますし、理解はしております。

 えぇまぁ、確かにそうかもしれませんがイジメを肯定する理由にはなりませんよね。

 

 とまぁ、

 

 そんなこんなで職を転々とする中、31歳の時とうとう精神的に限界が来てしまいました。

 そう、

 

 うつ病の発症です。

 

 厄介払いがしたかったのか、病気を理由に会社をクビになりました。

 当時の上司は会社にキズをつけたくないというのが見え見えで、弱っているワタクシに付け込みつつ言いくるめ、自己都合退社扱としたので何も保証は出ず。

 それだけならまだしも、謎の罰金を科せられ、ゴミくずのように放り出されてしまったんですよね。

 

 とはいえ、

 

 幸運だったのが妻の献身的な看病と、実家の援助で何とか生きてゆくことは出来ましたが、布団から出られなくなり一年間のニート生活をしておりました。

 その間、ぼんやりと考えていたことがあります。

 

 このままいったら老後は夫婦揃って野垂れ死にだろうなぁ。

 

 ……。 

 人によっては『人生に必死になってないからそうなるんだ!』とか『とんだ甘ちゃん野郎かよ』と思われるかもしれませんね。

 そして、この時に漠然と会社の煩わしい人間関係が無い『独立開業』という道を考えておりました。

 

 その後、

 

 昔勤めていた会社の後輩から知り合いが居るススキノの酒屋で人足りないって言ってるからリハビリ的に仕事しませんか? という話が来てススキノへ。

 仕事は楽しかったのですが、またしてもビルの壁に悪口を書かれる、知らないうちに通勤鞄をゴミ箱に捨てられるというガキの所業に似たテンプレ的なイジメに逢いました。

 

 またこれか。

 

 どこに行っても一生イジメに逢うのか。

 こうなったら漠然と考えていた独立開業の道を現実にしないとな。

 酒屋の経験上、開業に必要な資金と運営費がどれだけかかるかは何となく数字は揃っている。

 

 とはいえまだデータが足りない、

 

 一年間のニート生活をする間、仕事に関してがんばらないと決めたワタクシ、さっさと逃げ出すことにしたものの、ススキノという場所と酒屋の仕事は妙に自分の肌に合っていたのとデータ集めのため、ここから離れたくないなぁと思っていたところ、同業ということもあり前々から顔見知りだった現在勤める酒屋の社長に配達中ばったり会ったんです。

『おう! 元気にしてるか?』と笑顔で話しかけてくる社長を見て咄嗟に言葉が出ました

 

「……社長のところ、空きありますか?」

 

 親と子くらい歳が離れていたためなのか、ワタクシが切羽詰まった顔をしていたのか知りませんが、何かを察したのか社長は根掘り葉掘り聞くことなく一言だけ

 

『そっかわかった、俺ンところで良ければ来るか?』

  

 その言葉に当時勤めていた会社に辞めることを告げ、数日後に社長と面談しました。

 開口一番

 

「二年後に独立開業したいので、二年間だけ置いてください」

 

 という、今考えたらとても失礼極まりない事を告げるワタクシに普通なら怒り出すところですが、社長は笑顔で言いました。

 

『二年間しっかり勉強したらいい。酒メーカーとのツテも俺が作ってやる。安心してウチに来い』

 

 この言葉がワタクシにおける人生の転機となりました。

 ……後編に続く。