飽きる。
いやぁ、つくづく贅沢だと思うんですよ。
どうも! ススキノの父です。
ワタクシが大学生の頃、一人暮らしをしていた時のお話です。
仕送りが入り、率先して買うのはまず乾麺蕎麦でした。
それも
一箱。
当時、近所の八百屋に50袋入りの物が売っており、まとめ買い割引なのか5000円弱で買うことが出来たんですよね。
今では100円で買うことが出来ますが、その頃は100均なんていう便利な店は無くてですね、自身の知る限り一番安かったんじゃないかと思います。
それは、当面の食料さえ確保してしまえば必要経費を払った残りは全て
遊戯代。
色々と多感な時期だったため、学業もそこそこにアルバイトをしながら遊び呆けておりましたよ。
そんな生活を続けているとですね、当然小遣いも底をつくわけですよ。
外食も当然出来ませんし、食材も買えない。
そうなると伝家の宝刀を抜くしかなくなるわけですね。
必殺、蕎麦ずくし。
いやまぁ、米の方が安いのかもしれませんが白飯だとおかずが必要になってしまい、結局割高になってしまうため、一品で完結する蕎麦の方が長い目で見たら安上がりだったんですよね。
それにワタクシ、無類の蕎麦好きですし。
と、
早い時だと半月もしないうちに小遣いが底をついてしまい、仕送りまで遊びは金のかからないものにシフトしつつ食事は蕎麦をすすっていた、なんてこともありました。
そんな話を大学でしたところ
『え? 蕎麦ばっか食ってて飽きねぇの?』
なんて言われましてね。
当時『食べ飽き』という感覚が無かったのと、飯に飽きるってなんて贅沢なんだと。
食べられるだけ幸せだろうと。
それから社会人になって、ちょいちょいそんな話を聞いてはいたのですが、ワタクシは一生、食べ飽きというものに無縁だろうと
思っていた時期もありました。
いやね、こんなことを思っておきながら30歳くらいで突然、来ちゃったんですよ。
当時、勤めていた会社が食品会社ということもあり、カップ焼きそばを社員価格で買うことが出来ました。
肉体労働ということもあり、量は二倍盛りのもの。
自身、それが大好きだったため喜んで購入し食すこと3日目、いつものように麺をすすっていたところ半分くらい食べたところで
突然、箸が止まりました。
口に運ぼうとしたのですがワタクシの意に反して一瞬、手が動かなくなったんですよ。
あれ? おっかしいなぁと思いつつ麺を口に入れ咀嚼するのですが、今度は
喉が飲み込むのを嫌がったんですよ。
飲み込もうと思っても飲み込めない。
なんというか、喉があたかも『この触感と味は通したくないよ』って言ってるように感じました。
そんな感覚と戦いつつ何とか完食しましたが普段の倍以上、時間がかかったのを 覚えておりますよ。
なるほど、これが
食べ飽きというものか。
それからどんどん歳をとる毎に食べ飽きしやすくなってしまいましてね、傾向としては味の濃い物ほど飽きやすく、素材そのものに近い物や薄味の物は飽きづらい。
今朝も晩酌のお供として『たまにポテトチップスでにするかぁ』なんてポリポリ食べておりましたが半分も食べないうちに
飽きちゃったんですよ。
いやはや、人間って贅沢な生き物ですよね。